poetoh

大島憲治の詩とエッセイ、フォト、自由律俳句を紹介。既刊詩集『イグナチオ教会通り風に吹かれる花のワルツ』(書肆山田) 『東京霊感紀行』(竜鱗堂) 『センチメンタルパニック』(私家版) 『荒野の夢』(蝶夢舎)『シャドーボクシング』(蝶夢舎)

コトノハ座

言葉は人間の意思をまっすぐに映すものではなく

言葉は人間の意思をまっすぐに映すものではなくて、むしろ言葉に言わされている。書き言葉が、書いた人の意図から離れて新たな読み方をされていくところも、まるで別の意思を持って動く生き物のような感じがします。 円城 塔 朝日新聞 2021年1月1日朝刊 〈コ…

本来の自己に仕えているのは非俗人である

本来の自己に仕えているのは非俗人である。私はこれを「純粋人」と呼ぼうと思う。(中略)足穂は次第に純粋人を称揚して、次のように言う。……純粋人の立つ一線には、不純粋人は指だに触れることが出来ない。この腹癒せとして彼らは「悲惨」とか「敗北」とか「…

私は稲垣足穂の自信が

私は稲垣足穂の自信がどこからくるのかを考えてしまう。彼には世俗的な幸福など眼中にない。人に、文壇にどう思われようと、平気なのだ。彼の日常は、ミミズに水をやり、ネズミの通路に小さいパンを置き、庭のびわの木のびわは鳥に残してやれと云い、猫の世…

まず小さな紙片

「まず小さな紙片、メモ用紙とか、広告のはしきれなどそういうものを用意しなさい。そして随時、思いつくままに書くとよい。夜、寝る時も枕元においておくのです。大きな立派な原稿用紙、これはいけません。紙に圧倒されます。万年筆もインクの出具合その他…

人が死ぬということは

人が死ぬということは、 何か清められるような気がするなあ 〈伊達得夫が亡くなったときの足穂の言葉〉 稲垣志代『夫・稲垣足穂』より

わたしの興味は口唇期的な快楽と

……わたしの興味は口唇期的な快楽と苦痛のみなぎる閉じた空間を、粘着質で窒息するようなイメージの組合せと衝突によって堅固に造型し上げることにあっただけで、べつだん自分の中に抱えこんでいる何か切実なモチーフやらを表現したかったわけではない。わた…

中上健次の原稿の写真を見ると

……中上健次の原稿の写真を見ると、聞きおよんでいたとおりに、行変えなしでズルズルと細長い文章がつらなっていて、にもかかわらず、活字になった「小説」にはなぜ、行変えが生じてしまうのか、中上健次のエクリチュールには、行変えなどという便宜的な合理…

余白。そこからマラルメは歩いて

余白。そこからマラルメは歩いてやってくる。 詩思考とは、余白を責めることである。ところが、1行の文字は1行の余白を殺したぶん、1行をはるかに超える意表の余分をつくる。この勘定は、あわない。マラルメがはみ出るか、それとも詩をはみ出させるか、あ…

私は思い出した さっさと逃げていった

私は思い出した さっさと逃げていった一台のB29 そうしてあのきのこ雲のことを 事終わったあとで その灰の街の上に集まった 二十億の人々の四十億の視線のことを 入澤康夫 「ⅱ 見ていた男の唄」 詩集『倖せ それとも不倖せ 正編Ⅲ』

ここに来て12平均律などの呪縛から

ここに来て12平均律などの呪縛からやっと解かれ出したんです。そういう音楽がほとほと嫌になっちゃってね。家に2台あるピアノも1台は調律するのを止めて、どんどん狂っていけばいいと思っているんですよ。塩とか塗って錆びさせたらどうなるんだろうなんて考…

70年11月、作家の三島由紀夫が

70年11月、作家の三島由紀夫が自決した。佐々木(幹郎)はその時決めた。三島文学への共感はあったが、殉死をめざす思想とは決別し、蕪村の句にある牡丹のように生きていこうと。〈地車のとどろとひびく牡丹かな〉。地面を揺るがすような車の響きの中で揺れる…

そんなナイロビを見ていて

そんなナイロビを見ていて、僕は未来を感じたのだった。彼らはみんなで人形劇をやっており、お金なんかどうでもよかった。それよりも、踊りの腰の動きのほうが重要で、リズムを一個抜くところが重要で、それを女の子がわかっていて寄ってくる。なんか高度な…

きちんとめしをたべ

きちんとめしをたべ きちんと一日をたたみ きちんと呆けております 雲量ゼロの空を 鳥のかたちでとおってゆくのは にげる言葉たち 時のスプーンが 春をこぼしながら 森で機械体操を しております 山本太郎「優しい春」 詩集『死法』より

また春の日が来た

また春の日が来た。 大地は美しい 詩を暗誦したばっかりの子供のやう。 無数の、ああ、数知れぬ詩を、…… こんなに永い間、苦しい暗誦をしたおかげで、 今、御褒美を貰ひます。 きびしかった冬の先生。 あのお年寄りの先生の お鬚の白さが大好きでした。 リル…

祭りの朝はすばらしいものだ

祭りの朝はすばらしいものだ そばに美人がいたらもっとすばらしい 湖のほとりで子どもが魚を釣っている それもなんとすばらしい光景だろう 美しい光景をいつも心に抱こう 不安ばかり抱えた人生 それは人生とは呼べないから カザフの老人が「ドンブラ」という…

これで、とっぴん はらいの ぴい。

これで、とっぴん はらいの ぴい。 絵本『ねずみじょうど』(再話 瀬田貞二) 昔話の締めの言葉。

いちごぶらーんとさがった、

いちごぶらーんとさがった、なべのしたカリカリ。 『あおい玉 あかい玉 しろい玉』(再話 稲田和子) 新潟の昔話、締めの言葉。

映画は人生である

映画は人生である。人生の中に映画があったり、映画が人生を描いたりするのではない。人生が映画なのである。 『ゴダール革命』蓮實重彦

I SAW ESAU (88)

I’ll go to A. I’ll go to B. I’ll go to C. I’ll go to D. I’ll go to E. I’ll go to F. I’ll go to G. I’ll go to H. I’ll go to I. I’ll go to J. I’ll go to K. I’ll go to L. I SAW ESAU (88)

この世はいやだ、生まれてきたのはいやだ

この世はいやだ、生まれてきたのはいやだ、とぐずり泣きしている幼女が石牟礼さんです。そこから歩み出した彼女が残した小説からは、命を削っても表現したかったことが、ちゃんと伝わってきます。渡辺京二〈朝日新聞 文化文芸欄「語るー人生の贈りものー」20…

誰よりも言語感覚に優れていながら

誰よりも言語感覚に優れていながら、まるで無文字社会の民のような鋭敏な感性もあわせ持っていました。渡辺京二〈朝日新聞 文化・文芸欄「語るー人生の贈りものー」2018/12/27〉※石牟礼道子を語って

宇宙とは、人間とは何かをバッハは

「宇宙とは、人間とは何かをバッハは理解しようとした。自分を宇宙の中心に置くベートーベンやワーグナーと違い、宇宙を脇から見ながら作曲していた」ヨーヨー・マ (朝日新聞 文化文芸欄 2018.12.17〉

書くってことはね、少しばかり

書くってことはね、少しばかり姿を消すこと、何かの後ろにいるということなのよ。書き始めたなら、姿を現す必要はないの。(デュラス) 『ディアローグ デュラス/ゴダール全対話』

ぼくにとって映画は

ぼくにとって映画は自分一人では行けない場所に行くための移動手段だという気がします。そこが興味深いところです。映画をぼく自身の延長だと感じています。映画によって自分自身を延長させるのです。(ゴダール) 『ディアローグ デュラス/ゴダール全対話』

「反射してください」

「反射してください」 溝口健二『近松物語』撮影中、香川京子に繰り返しダメ出しをした際の言葉。