poetoh

大島憲治の詩とエッセイ、フォト、自由律俳句を紹介。既刊詩集『イグナチオ教会通り風に吹かれる花のワルツ』(書肆山田) 『東京霊感紀行』(竜鱗堂) 『センチメンタルパニック』(私家版) 『荒野の夢』(蝶夢舎)『シャドーボクシング』(蝶夢舎)

巨人

 巨人     

 


ぼくのなかに極小のぼくがいる
それが物質なのか非物質であるのか
わからない
おそらくはその中間に存しているのでは
とぼくは踏んでいる
きのうの夜 初めてその存在に触れたのだが
そいつはグッタリと弱っていたのだった

極小のぼくのことを
キョクボクと名付けたぼくは
もしかすると今後の人生に
このキョクボクというやつが
大きく関わり 何かを示唆し
ぼくを動かすことになるのでは
と思うのだった

啓示を与えることはないだろう
なぜならばキョクボクは
ぼくのなかにいるのだから
カラダが光りを発しないように
啓示はぼくたちの遠い外からやってくる
遠いからなかなかやって来ないのではない
瞬間をこなごなにした時間から到来するので
ぼくらは見逃し続けているのだ
つまり「天啓」は埋め込まれており
いちばん「遠い」は思いもよらぬほど
ぴったりとぼくたちに貼りついている

きのうの夜 ぼくは眩暈を覚えた
そのときだ
事業に失敗した幽霊のように
キョクボクはあらわれたのだった

腺毛並みのスティックをひと振りし
ぼくを眩暈の空間へ移したのは
他ならぬキョクボクだった

キョクボクが行うことは眩暈 それだけ
ぼくという巨人を床の上に立つ虹にしたり
地球と木星のあいだを
パジャマ姿で泳がせることだ

思うと考えると感じる それら
三つが分かれる前の極点のようなもの
キョクボクとは もしかして
巨人の内に挿し込まれた死の種子かもしれない
けれど死という花は
ぼくの死なのか 世界の死なのか
いつもつかみかねながら
咲け と
存在の界面で蕾むのだ

 

   詩集『シャドーボクシング』より