poetoh

大島憲治の詩とエッセイ、フォト、自由律俳句を紹介。既刊詩集『イグナチオ教会通り風に吹かれる花のワルツ』(書肆山田) 『東京霊感紀行』(竜鱗堂) 『センチメンタルパニック』(私家版) 『荒野の夢』(蝶夢舎)『シャドーボクシング』(蝶夢舎)

町街

 

 町街

 

モルタルと木造の家々が

くすんだ屋根を空に向け

窮屈そうにトヨペットが

曲がんなくちゃならない路地を

青っ洟の子どもらが

睫毛を翼に駆け抜ける

いつか空を飛ぶんだろうな

それともあの子たちはもう

おじいちゃんになってしまったかな

ちいさなジャングルの茂る空き地の先には

サリーちゃんの洋館もあったりして

デパートや放送局が丘のように眺められ

セスナ機がプロペラで雲をかきまぜて

ねむたい青空が耳元に降ってくる

そういえばビラも空から舞ってきた

夜にはしじまが

群青色の大蛇を連れて過ぎていったっけ

いまでは夢のなかにもあらわれない

ぼくたちの町

吊り橋から人が飛び降りれば

救急車のサイレンが蛇行しながら

枕元までやってきた  ぼくたちの町

そんな町もピッカピカの街に

滅ぼされていった

地上の構成は息の半分を削り取ったが

鳥の目から見れば

無秩序な人工も自然であり

タンポポからヒトまで

あらゆる生きものは

存続という役を与えられている

街の空気に混じった

エンジンとクラクションは

ぼくらの脳のなかにとけ込んでいて

もちろんシリコンもたっぷりと

流し込まれていて  

いつか暴走の鍵穴に差し込まれた誰かが

スイッチをONにすると

誰でもよかったと呼ばれた人々が

なぎ倒されていくのだった

ボンネットは空の下で

ぼんやり凹んでいる  

血と花とジュース缶が

何千万もの誰かの目に映し出される

またひとつ

苦しみがセカイに加わった

またかに終わりはなく

狂っているのが原因だとしても

ぼくらが格闘する相手は

格闘の方法なのだった

くたばるまで格闘するのだろう

今日を静かに夕食しながら

明日が滅亡しないとはいえない

とおまじないを唱え

セカイのスイッチを切る

けれど夜は来ない

だからみんなしてどこかに

集まっているんだ

地球じゃないかもしれない場所で

顔を見せずに

指も見せずに

すべての人に朝が来なけりゃ

それに越したことはない

大きな昼の下で

象が喇叭を吹き

カンガルーが高速道路を

びょんびょん跳ねていく

ところで今も裏通りとか雑踏は

ポケットに手を突っ込んでいるんだろうか

ふるい「孤独」は

「ふるい」椅子の焦げに似て

不定形でちっちゃい

ふるい「おれたち」の

騒ぎや憂鬱は

通りと喫茶店を頻繁に出入りしたが

踏みつけられたのは黒い旗だった

誰も知らない空を進んでいた

マイルスは陽気なミュートを外し

冷たいロングトーンを別宇宙から

引っ張り出す

この旋律にラップをリミックスさせれば

もうすこし先までいけるだろう

勢いあまり

江戸の町にでも出てしまえば

首に1938年製ライカをぶら下げた

ブレッソンが安藤坂の暗闇から

ひょいとあらわれるかもしれない

彼は本当のシャッターの音を

夜の帳に響かせる

でも降り立ったのは

みなとみらいだった

動線通りに人は運ばれ

直感を発揮する道はここにはない

人はただ施設にむかって進み

施設へと戻るだけ

買物は復讐であり

展望台は息をのむ攻撃なのだ

敵はフレームなので

なかは膨大なスカスカだ

スカスカのなかをまっすぐ

スカスカになって進む

廃墟も滅ぼされていく

でもみらいは廃墟としての姿を保つ

まだまだだ

末裔はいまどのあたりで

われわれを待っているんだろう