poetoh

大島憲治の詩とエッセイ、フォト、自由律俳句を紹介。既刊詩集『イグナチオ教会通り風に吹かれる花のワルツ』(書肆山田) 『東京霊感紀行』(竜鱗堂) 『センチメンタルパニック』(私家版) 『荒野の夢』(蝶夢舎)『シャドーボクシング』(蝶夢舎)

谷川俊太郎「雪の朝」を読み

わたしという子どもたちは蘇る

 あなたのなかにいる子どもたちは元気ですか?  谷川さんのなかにいる子どもたちはいつも元気みたいです。子ども時代の心ときめかせた瞬間をありありと甦らせることのできる人はしあわせです。

 年齢的にはもう老人と言っていい現在の谷川さんと詩にあらわれる子どもとの間にはほとんど距離というものがないようだ。よちよち歩きの頃から雪のなかを飛び跳ねたかつての<わたしという子どもたち>が、すばやく今の谷川さんのもとへやってくる。ほんの一瞬でも、子ども時代の記憶というものは、ときにどんな映画よりも音楽よりも心にしみる。

 わたしの<わたしの子どもたち>は、わたしとの距離を広げながら、だんだん色あせつつあるようだ。谷川さんのように長生きできるかどうかわからないが、80歳を過ぎて詩を書かせるほど鮮烈な「子どもの時」が湧きあがるだろうか。

 現役の子どもたちと一緒にいると、その笑顔はもちろん、無心にオモチャで遊ぶ姿やケンカのときのつり上がった目、ぽろぽろ落とす涙にも、わたしのなかへ流れてくるものがある。純真さと言ってしまえばそれまでだが、大人からは決して発せられない不思議なパワーだ。いや待てよ、子どもたちから流れてくるものは、大人ゆえに子どもらから引き出されるべく力なのかもしれない。

 自分の内なる子ども、自分の外にいる子どもたち、いずれも生きるエネルギーを与えてくれる。ちっぽけな子どもは偉大だ。短い子ども時代は永遠だ。

 

朝日新聞連載<谷川俊太郎ーどこからか言葉が>(2018年1月31日)

「雪ノ朝」を読み

 

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