poetoh

大島憲治の詩とエッセイ、フォト、自由律俳句を紹介。既刊詩集『イグナチオ教会通り風に吹かれる花のワルツ』(書肆山田) 『東京霊感紀行』(竜鱗堂) 『センチメンタルパニック』(私家版) 『荒野の夢』(蝶夢舎)『シャドーボクシング』(蝶夢舎)

One world 窓

One world                     

  窓


どこからを外というのだろう
この目で見えるものすべてが
外なのだろうか 
目を閉じて見えてくるものとは
いったいなんなんだろう
あなたも外のひとつなのか
キーボードを打つこのヒトサシユビも

閉じられた窓を見つめる人こそが
多くのものを見ているのだと記した
パリの憂鬱なる詩人は
その作品「窓」の結びをこう飾った
 僕の外側に存在する現実など、
 そもそも何ほどのことがあろう  ※

7、8歳の頃
天井と梁の数ミリの隙間から
外が眺められることを発見した
標高130mの青葉山の裾野が圧縮され
杉林と白い坂道が目に飛び込んできた
あの一瞬がもしかして
自分と世界の通路を知覚した
最初の出来事だったのではないだろうか
そして自分だけの外を握ったという
甘美な支配力をわたしは味わった

こんな昼下がりもあった
ぬか漬けと石油の匂う納屋で
ふし穴から侵入してきた一本の細い光が
真っ暗な空間に物質のように現れたのだ
そして遊星のようにちりを回転させ
脳の皺の裏側にちいさな宇宙が生まれた
記憶という謎のすみかで
いまでもわたしは
遊星を回転させることができる

夜と昼のなかで地球人たちは
液晶の窓をコンコンと叩く
COVID-19 も入り込めない窓のむこう
どんな微量な物も通り抜けられない
線と無線のなか行き交うのは
ビットとなった風景や物語 感情や貨幣 
精神までもが窓のむこうを流れる

液晶の窓のなかに部屋の窓がある
その窓のむこう
ゆらめく抽象的なみどり
光りの幼少が踊る
ラファエロ「聖母子像」の遠景に似た
木立 青空のくすみ

わたしは窓を夢見る
チェンナイの窓
キリャト・アッタの窓
オハマの窓
パースの窓
ジェラゾヴァ・ヴォラの窓
カウフンの窓
シエラネヴァダの窓
大鹿村鹿塩南山の窓
窓に囲まれた部屋を
ピアノを囲む窓を
窓辺の十二弦ギターを
燭台にその灯を映すガラスの闇を
窓はわたしのシアターであり
外と内を存在させ続ける
わたしそのものが窓なのだ
現実であろうがなかろうが
ゴブリンがわたしたちを
連れ出してくれるまでもなく
窓にはいつだってむこうがある
むこうのそのまたむこうがある


          ※ボードレール『パリの憂愁』福永武彦訳