poetoh

大島憲治の詩とエッセイ、フォト、自由律俳句を紹介。既刊詩集『イグナチオ教会通り風に吹かれる花のワルツ』(書肆山田) 『東京霊感紀行』(竜鱗堂) 『センチメンタルパニック』(私家版) 『荒野の夢』(蝶夢舎)『シャドーボクシング』(蝶夢舎)

Ifu

Ifu

 

在り得なかったものとの邂逅

その瞬間を守りたいのである

驚きはいつも過ぎていくものだから

 

どこかの森に存在する

大木を目的化する

どこかの誰かが

切り倒し、さらに切り、

削られ掘られ

大木は主語となり

受動態となる

それは神木であったのか

物言わぬ森の一行だったのかは

いまもわからない

 

どこかから

誰かがまたやってきて

水をいっぱいに溜めた大木を

地を仰ぎながら

焼くのだ

水は天に還り

火は黒く 

大木は火ををすみずみまで吸い取り

炭化する 

黒という色は

少しづつ半永久に近づく

つまり

死を浸潤させるのだ

忘れ去られるということで

死も永遠ではない

 

黒は色ではなく

物体であらねばならない

喩えば「空洞説」という物体は

さいたま市と日本の息苦しい空の下で

埼玉県立近代美術館という

味気ない余白を表して

その質量によりわたしたちを

視野から溢れさせてしまう

一方で記憶の白い紙に

巨大な眼球が中空に浮いていた

「ヴィジョン」は事実で

視覚の裏側では

空洞と眼球がぴたりと一致する

夢のなかの話ではない

大事なのは

なぜなのかもわからない

そのことだ

 

海へ

むかう舟ではなく

舟は埋葬されるべき地中を求めて

フロアに浮かぶ

まだ掘り起こされていないから

土くれも纒わず

まっすぐで静かなのだ

 

いつの日か稲穂の国でも

雨と光に発信する

ピラミッドが見つかるはずだ

 

人は気づかないことを求めている

もしあれらが聖性のモデリングだとしても

畏怖という事態はもうやって来ないだろう

太古は退屈だったという

遺物が現れないように

 

    Inspired by 

         遠藤利克 展   -聖性の考古学-