poetoh

大島憲治の詩とエッセイ、フォト、自由律俳句を紹介。既刊詩集『イグナチオ教会通り風に吹かれる花のワルツ』(書肆山田) 『東京霊感紀行』(竜鱗堂) 『センチメンタルパニック』(私家版) 『荒野の夢』(蝶夢舎)『シャドーボクシング』(蝶夢舎)

不時着

 不時着

 


しあわせは
フシアワセよりも
多くのものを見ていない

しあわせ
ときどきフシアワセ
フシアワセ
ときどきしあわせ

わたしたちの凡庸は
郊外の横断歩道に生きながらえている

ときに
暗喩と直喩で成った人生で
砂漠のまんなかに
不時着してしまった者を
人はフシアワセというかもしれない

ならば
砂漠に何があるのだろう?

砂と空
夜があるかぎり光りつづける星

四つのトゲを持つプライドの高いバラや
家来がひとりもいない王様のことを
話してくれる王子はあらわれないが
サン=テグジュペリの絵を
思い出してほしい
ころんと
転がせられるほどの星を

砂漠のまんなかでは
星にすわることができる
星にすわり
星さえ塗りつぶそうとしている夜に抗い
星をさがす

やがて
母の大きい乳首と若い恋人の小さな乳首が
星となってあらわれ
唇でぴかぴかする
夏の朝 くるぶしを濡らした
はらっぱの朝露が
川石にならべられた泥団子が
ゴム跳びで
スカートがめくれあがった子のパンツが
路地をすぎてゆく金魚売りの声が
ターンテーブルで回り出す緑のりんごが
そっとのせられていく針が
千葉拓君がぶち抜いた文芸部の壁の穴ぼこが
星となってきらきらと
無限のいまのなかで光りはじめる

不時着というチャンスを得た者が
見るのは
無数のかがやく記憶
しあわせは
砂漠ほどのロマンに包まれてはいない
だから不時着を繰り返す
人生飛行士もいるのだ

 

 

   詩集『シャドーボクシング』より