poetoh

大島憲治の詩とエッセイ、フォト、自由律俳句を紹介。既刊詩集『イグナチオ教会通り風に吹かれる花のワルツ』(書肆山田) 『東京霊感紀行』(竜鱗堂) 『センチメンタルパニック』(私家版) 『荒野の夢』(蝶夢舎)『シャドーボクシング』(蝶夢舎)

Cléo de 5 à 7

 アニエス・ヴァルダ『5時から7時までのクレオ』を観る。ちょうど一年ほど前、アニエスは他界した。アーティスト、JRとのロードムービー『顔たち、ところどころ』は、アニエスが亡くなる半年前だったか、センター北のシネコンで観た。いい映画を観たなと、ほのぼのとした気持ちで館を出たのを記憶する。アニエスといえばもう一つ『ジャック・デュミの少年期』を岩波ホールで観たが、『シェルブールの雨傘』のカットが挿入されていたこと以外ほとんど憶えていない。ベレー帽の少年を捉えた青みがかったポスターが何となく目に浮かぶ。20年以上も前の作品だろうか。でも大事な何かがあの作品にはあったような気がする。いずれもう一度観ることになるだろう。『…クレオ』いい作品だ。明るいモノクロの映像がクレオの純白の肌を際立たせる。グラマラスな肢体、彼女を超える美しさも健康さもこの映画のなかには存在しない。
 〈癌〉に怯えるクレオの姿を午後5時から7時の間で時系列で描く。回想シーンはない。癌検査結果へとドラマは進んでいくがストーリー性は希薄。
刻々とそして様々に変化するクレオの表情を〈モノクロ〉が逃すことなく白日の下に晒す。検査結果を怖れているがクレオの輝きはいや増すようだ。そして主人公を取り巻く女たちの魅力あることよ。マネージャーの屈強さ、友人のヌードモデルの颯爽さ、それに引き替え登場する男どもは「非の打ちどころがない」ほどの女たらし。1960年頃のパリの街中も面白い、だれもがクルマに跳ねられてもおかしくない野蛮なモータリゼーションの時代がしっかり記録されている。パリを映した映画では、1956年制作のアルベール・ラモリス『赤い風船』が一番印象に残っている。カラーフィルムで撮られた、まだ戦後を引きずるパリの街の荒々しさ、石畳を闊歩する人々があまりにも生き生きとしていて息を呑んだ。ファンタジックなフィクションのなかの目を引く異化効果でもあった。
 『…クレオ』にエキセントリックな若い作曲家が登場する。歌手という設定の主人公クレオに曲を提供するその役をミッシェル・ルグランが演じる。ルグランはこの映画の音楽担当でもある。風格あるおじいちゃんという印象しかなかったのでこれには驚いた。映画のなかで何曲かシャンソン風の歌を披露する。クレオが難しくてとても歌えないといった歌が洒落ていてなかなかよかった。この歌探さねば。
 冒頭、テーブルでタロット占いをしているシーンが真上からのアングルで映し出される。このやや長めのシーンはカラー映像である。繰り出されるカードに描かれた中世の世界。隠喩と迷信の絵柄、しぶい色彩。占い師の老いた手と若く美しいクレオの手。イントロからエンディングまでいたるところに秀逸なセンスが散りばめられた作品だ。男に言い寄られる後半の舞台、モンスリ公園の映像にも惹かれた。あっけないラストシーンだが鋭く気持ちよく心に刻まれる。

 

 

  

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