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大島憲治の詩とエッセイ、フォト、自由律俳句を紹介。既刊詩集『イグナチオ教会通り風に吹かれる花のワルツ』(書肆山田) 『東京霊感紀行』(竜鱗堂) 『センチメンタルパニック』(私家版) 『荒野の夢』(蝶夢舎)『シャドーボクシング』(蝶夢舎)

四元康祐『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』 全裸の武装による世界との格闘

四元康祐『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』

          全裸の武装による世界との格闘

 

衝撃的な本だった。四元康祐が弾けてしまった。新しい詩集など手に取ることは滅多にないが、近年稀にみる快哉の詩集ではないだろうか。昨年5月に上梓され、買って読んだのが2ヶ月後の7月。なにか感想を記そうとしたが、その濃い内容にどう手をつけていいかわからず、暫し沈黙。わかったのは、四元康祐がポスト谷川俊太郎的な立ち位置につく日本を代表する詩人となったのだな、ということ。その詩群が、わたしが2014年のクソ暑い秋の土曜昼下がり、気色悪い人間が次から次へ上ってくる渋谷道玄坂を下っている時に天啓のように全編が広がった詩の匂い、色、音に類似していたことだ。その時期、脱原発デモ、安保法制抗議集会へ横浜の田園地帯から自ら尻を叩き叩き東京へ出張っていた。ネトウヨのかなしい罵倒や形相、御年寄だらけの覇気のないシュプレヒコール、私服やら正体不明の輩の撮影陣にまみれ、ドラム隊や自分と同じカウンタ一系一匹狼の姿に励まされ、外界とささやかに交わっていた。
わたしはわたしの脳の何処かで広がったあの詩をまだ書いていない。もちろんもう書く必要はないし、書けない。四元康祐がわたしの天啓をはるかに超える詩ヂカラで書いてしまったから。

『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』詩集のタイトルからして、真善美へ趣く志向のカケラもない。狭く固まっていた日本現代詩の陣地を一気に粉砕する爆弾詩集、と言ったらいいのか。壁、天井が吹き飛び外気に触れたような開放感と同時にページをめくれば難儀なテーマとモチーフに頭が沸騰する。憲法、政府、天皇制、ジェンダー、ヒロシマ、放射能、震災、戦前戦時下の文学、SMAP解散…等々、政治や社会、風俗とガチで絡みあう。向き合うという距離はない、絡む。その上で公私から見事に「公」を取った「私」の爆発がある。人々がソーシャルメディア化して本音を調整しているさなか、この全裸の武装による世界との格闘に喝采をおくりたい。

意識高い系ではなく、意識鋭い系に属するのが詩人というもの。詩人は学者や哲学者のように高みにいてはならず、トンガッテいなければ駄目なのだ。そう言えば現代アーティスト会田誠の檄文とその決死さで相似る。『単調にぼたぼたと、がさつで粗暴に』ーこの詩集を以って、四元康祐は日本最強の詩人となった、とわたしは思う。